一般的な演算能力のパソコンを静かにするもっともストレートな方法は、 そこそこ大型のシャーシを採用し、 そこに大型のヒートシンクを採用し、 大口径のファンをゆっくりと回すことを旨とする設計を採用することです。 ヒートシンク選びやファン選びでブランド等を右往左往してもあまり意味はありません。 小型マシンを静寂にする簡単な方法はないのです。 小型マシンのためのシャーシを選定した場合、 最初からファンレスのプロセッサが搭載されたメインボードを採用するぐらいしか、 静かなマシンを組み立てる方法はありません。
静けさを得たいという意味ではCeleron J4125等の小電力プロセッサは有力な選択肢です。 コンパイラを動かすなどの負荷を掛ける用途を考えるとCeleron J4125クラスのCPUパワーは確かに見劣りします。 バルクビルドを仕掛けて放置する場合など、CPUパワーの瞬発力は問わない用途を選ぶとよいでしょう。 DNSサーバのように軽量ではあるけど常時動かす必要のあるサーバには適任です。 とりあえずファンレスのマシンを構成したい、 という場合においてCeleron J4125系を選ぶことは良い選択肢になります。
後継となるN100系も有力ですから、必要に応じて検討すると良いかと思います。 N100系はメモリのチャンネルがシングルに限定されるなど、 メインボード設計を見るに制約が大きいのも確かです。 N100系を選ぶコストメリットはあまりないかも、とも思います。
firewalldはそれ自身は他のバックエンドを包み隠すラッパーでしかありません。 技術的に見てもfirewalldは単なる手配師でしかなく、 パケットフィルタそのものに実装の責任を負っているソフトではありません。 firewalldはその構造上の問題から、細かなエラーがあってもそれを正確にユーザに報告しない傾向があります。 実際問題、バックエンドのログを追わないと正常に動作しているのかわからないのはもちろん、 個々のUI操作では何を失敗しているのかすら表示されません。
ログを吐かせるときにfirewalldが単なる手配師でしかないことを思い知らされることになります。 NetBSD npfやOpenBSD pfのような気の利いた責任あるログの仕組みはありません。 基本的にバックエンドから垂れ流されるだけです。 個々は高性能だけど集合体としては烏合の衆である、 というのがLinux系統のソフトウェアスィートの弱みであるということは言えるでしょう。
各ディストリビューションに標準で組み込まれていて外すに外せない場合があるのが、 firewalldの厄介なところだと思います。 避けて通ることが難しいのです。
このメインボードはBIOSの初期値で仮想化支援がOFFになっています。 キーボードやディスプレイが繋がっていないとPOSTエラーになってしまい、 そのままではOSが起動してきません。 AC電源を抜くと強制的にOFFが維持され、AC電源復帰時に自動で起動しません。 メーカの設計意図としてはWindows 11で使うことしか考えていないのだと思われます。 CMOSが消えるたびに各種パラメタを再設定する必要があります。 BIOSパスワードを初期化できる必要があるのは趣旨としてわかりますが 重要な設定項目はEEPROMにでも書いてくれという感触であり、 簡単には消えないようになっていて欲しいです。 サーバ用として運用するには少し煩わしい板であると言えるでしょう。
端末に貼り付けていた64GB分のDDR4メモリを端末から剥がしました。 かわりに若干グレードの劣る32GB分のメモリを充てました。 剥がした64GB分のメモリは別のサーバ用途に回しました。 Proxmox VEを入れて仮想化基盤ホストにしています。
64GBもあるなら、それをワンロットにして、 LLMを動かすためのホストにしたほうがロマンがあると考えられるところです。 ところが64GBのメモリをフルに使ってLLMを回して意味があるか? というと難しいところでもあります。 DDR4程度ではメモリの帯域的に速度が遅いので、 64GBを積んでLLMを回しても使い物にならないと考えております。
試してみる? ハードウェアの確保を考えると、ちょっと悩ましいですね。 64GB規模を試すのはピーキーなチューニングの領域です。 32GB規模というスィートスポットで存分に遊んでからでも、遅くはないでしょう。
なろう系が流行ったのには、そこに需要があるからという理由があります。 読者としてはそこそこ整ったテンプレ小説が読みたいのであって、 出版社が出しそうな伝統的な価値観の小説が読みたいわけではありません。 異世界テンプレが編集に弾かれていたと言われる過去の時代の小説が特別に面白かったわけではないのです。 時代を巻き戻そうとしても、そううまくはいかないでしょう。
オリジナリティは著作権の成り立ちからしてそれなりに大事な要素ではありますし、 パクればパクったで非難されるのも事実ではあるのですが、 オリジナリティそのものはその小説の面白さそのものとは何の関係もありません。